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2012年04月11日:Posted by LOOCHOO(アートとデザイン)

アートとデザイン ♯3 名嘉太一

名嘉太一
こちんだアトリエデザイナー、AKARAアートディレクター 



デザインとアートの違いはなんですか?
と訊かれたら、何と答えますか?
全く違うようで、ほとんど同じ事のようにも感じるので、
困ってしまうかも知れません。
しかし、僕としてはどちらのビジネスにも関与しているので、
明確に答えなければならないなと…。
いい機会なので考えをまとめてみたい。


辞書で調べたり、ググればそれで済むと言えばそれまでですが、
僕なりの見解を書きます。
先ず、いくつかの要素に分解して考えてみると
わりとつかみやすくなります。
以下の要点をごちゃごちゃに考えている人は割と多いのでは?


出力側と入力側の違い
マーケットの違い


クリエイション:創造行為という意味においては、
アートもデザインも同じ事です。
どちらに優越もありませんし、人間の人間たる所以が創造だと思います。


創造とはコミュニケーションの形だとも言えると思います。
あえてそう言うのは、クリエイションとは
純粋に内なる物事と表現する人が多い気がしたからです。
確かにそうですが、相手がいなければ、創る理由がないのでは?
それは、アートもデザインも同じです。
社会性という人間の本能において、
個という概念も相対的に相対する社会があって成り立つとすれば、
個もまた社会の一部です。
閉じた個だけの内部で完結する創造とは、創造とは言いにくく、
無と言った方が正解でしょう。
それこそ純粋なコスモスです…ややこしくなりましたね、
要は、創造には必ず相手がいるという事(それが自分という相手でも)。
すくなくとも僕はそう考えています。


アートもデザインも出力側と入力側があると思います、
つまり作る側(供給)と使う側(需要)です。
中でも、アートの入力側はほとんど自由で、なんでもありだと思います。
アートにおける感じる側、受け手側のアート体験(創造性が連鎖する様な歓喜)
感動というのは、必ずしも“アートとして作られた物”を見なければ、
アート体験出来ないかといえば、そうでもありません。
その人のその時の状態によって、何が感動の引き金になるか分かりません。
それは、朝日かも知れないし、満月かも知れない、
友人の旅の話かも知れないし、
捨てられているゴミに心打たれるかも知れない。
そういった意味でのアートは
それぞれの心の持ち様で、自由で無限だと思います。


出力側からすると少し様相が変わってきます。
現代社会に生きていて我々は皆、経済活動の中にいます。
そこで何かしらのマーケットに対して経済活動を行っています。
そういった観点から、デザインのマーケットとアートのマーケットは
明確な違いがあります。
分かりやすく表現すると、お客さんと取引される対価・付加価値(金銭額)が
全然違うのです。
社会的立場や法律も違うでしょうし、在処も違います。


そのどちらも、人間にとって必要不可欠で、
それを生み出す人の努力や創造性はどれも尊敬に値する物事で、
真摯さがないと一流のマーケットでやっていけません。
そこで生き抜くには、絶え間ない工夫と過酷な交渉の連続だと容易に想像出来ます。


物の売り買いは、付加価値に対する評価です。
だから芸術の評価は、魔術的に高いのです、それは人間を感動足らしめるからです。
よく日本人的感覚では、芸術は純粋なもので、
売り買いを越えた神聖なものだ…みたいなカワイイ表現が好まれます。
確かにそうとも言えますが、それは受け手の感情の話で、
ビジネスでは通用しません。
価値とは相対的に評価される対象があってはじめて成り立つのです。
売ったり買ったりする事は、純然たる生活の一部です。
その方法論がアートなのかデザインなのか
野球なのか駄菓子屋なのか、選べる我々は本当に幸せです。


アートもデザインもマーケットが違うだけで、
ほとんど似ていると思います。
僕の中では明確な違いはあえて設けず、
グラデーションの様に捉えてイメージしています。
まるでアートの様なデザインプロダクトもあれば、
デザイン的集団手法で作品を制作するアート集団もいます。
ただ、その仕事に対する“執念”や、込める“生き様”みたいなモノが
練り込まれているほどに、芸術と呼べる様な怨念が醸造され、
醸し出されるのではないでしょうか。


という意味では、人の評価なんぞ関係ねえ!
みたいな迫力のある作品や製品に、結果的に魅力を感じ評価を与える…
なんて事はよくあります。
逆に、モテたいモテたいとべったり寄って来る者は、
まったくモテず、評価を得られない。
自ら心動く様な仕事でなければ、デザインでもアートでも、
魅力は生み出せないでしょう。


現時点で僕にとってのデザインとアートとは、
出力側にとってはマーケットに明確な違いがあり
込める執念や個性に優越はなく
入力側にとってはどちらも同じ感動の種で
創造というコミュニケーションの一種って事です。


とにかくツクルし、感動したもん勝ちだと思ってます。


モーツアルトの音楽は芸術だな〜って感じるし、α波が出ているのも分かる。
でも『ピンクのモーツアルト』は、
まじモーツアルトの何百倍も僕の心を動かし、創造性を発動させた。
『ピンクのモーツアルト』出力側の意図は大衆音楽のビジネスかも知れないが、
入力側の僕にとってはアート体験だったわけだ。
ねぇ感じてる?神秘のさざ波のシンフォニー…


こちんだアトリエ 




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Posted by LOOCHOO(アートとデザイン) at 09:31│Comments(0)アートとデザイン
 
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