2012年04月23日:Posted by LOOCHOO(アートとデザイン)
アートとデザイン ♯10松堂今日太
松堂今日太
ガラスアーティスト
ワタクシ的「アートとデザイン」
〜思考のクイック・マッサージ〜
裏切られたいと思ったことはありませんか?
恋人に、ではありません。モノ作りのことです。
私の興味があるクリエーションは
「凝り固まった考えを壊してくれるもの」であり
「頭の中をもみほぐし」て「思考のマッサージ」が出来るものです。
「空気読め」という常識に圧迫され、凝り固まった日常で
「どうせ、世の中こんなものじゃない?」とつい
考え始めようとしたとき、アートやデザインは
アッパーパンチを食らわせ、頭の中にあった頑な考えを
大きくも小さくも裏切ってくれます。
さて、アートとデザインの解釈はそれぞれだと思うので、
1、鑑賞者として、
2、舞台芸術に関わる者として
3、自分の創作物に関して
と全く私的な3つの視点から書いてみます。
☆
せわしく、what’s new?に慣れすぎたトーキョーに
住んでいるので、良くない考え方かもしれませんが、
視覚的や思考的に一見わかりやすいことは、鑑賞者の私にとって重要です。
矛盾した言い方ですが、みな一瞬でわかるコンセプトなんだけれども
必ず見ているものが入り込める余白があり、わかりにくさもあって
良い意味で自分の考え方が壊され、感動的に裏切られるもの。
デザインでいえば、倉俣史朗、マーティン・バースやドローグデザイン系。
ファッションなら故アレキサンダー・マックィーンや旧マルタン・マルジェラ。
現代美術なら、ヤン・ファーブル、ダミアン・ハースト、マシュー・バーニー、オラファー・エリアソン、
杉本博司、柳幸典など。
舞台芸術では、ロベール・ルパージュ、サイモン・マクバーニー、ロメオ・カステルッチなど。
アーティストに脈絡がないようだけれど、私の中では
一貫している、クイック・マッサージ的なアートとデザイン。
社会や日常という固定観念に頭がガチガチになったとき、ふと思い出す彼らの作品によって、
私はまたクイック・マッサージを受けたときのように、頭の中がすっとほぐれていきます
(最近はとても即物的になっていて反省もします)。
* ☆
私の本業は、舞台芸術関係ですが、それらに関わって創作アイディアを出しているときもほとんど同じです。
ほんの少し足を突っ込んでいる程度なので、
これもかたよった考えですが、特に大衆演劇という、多くの観客に
見せるジャンルにいるので、一見わかりやすいというのが重要になってきます。
1000人いれば、1000通りの見方があるにせよ、ある方向性を共有してもらわないといけない。
ただ、何のために創作に関わるかという点での気持ちのよりどころは、なるべく多くの人に新しい視点や、
思いもしなかった切り口で考えを提示しているかというところ。
舞台は、総合芸術と言われるようにさまざまなアートやデザインの要素が入り乱れます。
そのときに、全く別物のような素材を合わせることで
面白い化学反応が起こることがあります。それをライブで見たときの
驚きや、時間を忘れるスパークした瞬間は、映画やドキュメンタリーとも違う
至高の「エネルギーの場」となります。それがたまらなく忘れられないので
この仕事に片足をつっこんでいるのはとてもシアワセなことです。
☆☆☆
なんやかんやいっておきながら、自分のモノ作りが上記のようか
と言われると、むむむ。。なところ。
ガラスという限定的な素材を選んだために、頭の中にある思いを伝えきれないという限界を感じた、27歳。
私はニューヨークに住み着き
さまざまなクリエーションを目の中に入れ込み
行動的に脳みそをひっくり返す作業を積極的にしました。
お陰でガラスという素材の呪縛から解放され、いまは「思考の道具」として
利用できるようになっています。
作品はとてもワタクシ的なものなので、それぞれの作品によってメッセージが違い
語りませんが、なぜ作品を作るのかと問われれば「自分を見つめるため」
「内面へのジャーニー」という感じでしょうか。
私は欲張りなので、多くを知り、経験して、感動したいです。
「自分が正しい」ということを気持ちよく裏切って欲しい。
それは常識、体裁、メンツ、世間という日本にいるからついそう思ってしまうのでしょうか。
いや、自分という狭い人間が勝手に作り上げているのです。
そう、「オズの魔法使い」のドロシーのように。
シガラミは人が作るものではなく、自分が作るもの。
だから、私はなるべく旅をし、多くの人やモノ作りに出会い
ドロシーが赤い靴をカチッと鳴らして想像の旅に出るように
自分の内面への旅をモノ作りを通してし続けるのだと思います。
そして最後に。、今回は即物的な思考のあり方を書きましたが、
もちろん10年後、20年後にやっと「ウチアタイ」する
クリエーションの力ももちろん信じています。
一般的に言うとアート、デザインが文化的、社会的に必要なのは、そういう思考の機能として必要だからだと思っています。
大きく言うとアートは、戦争や差別を終わらせ、政治を変え、宗教を葬ることが出来る力のある装置だと信じています。
それはまたいつかゆっくり書きたいと思います。
2012年4月、ロンドン行きの機内にて
ガラスアーティスト
松堂今日太
ガラスアーティスト
ワタクシ的「アートとデザイン」
〜思考のクイック・マッサージ〜
裏切られたいと思ったことはありませんか?
恋人に、ではありません。モノ作りのことです。
私の興味があるクリエーションは
「凝り固まった考えを壊してくれるもの」であり
「頭の中をもみほぐし」て「思考のマッサージ」が出来るものです。
「空気読め」という常識に圧迫され、凝り固まった日常で
「どうせ、世の中こんなものじゃない?」とつい
考え始めようとしたとき、アートやデザインは
アッパーパンチを食らわせ、頭の中にあった頑な考えを
大きくも小さくも裏切ってくれます。
さて、アートとデザインの解釈はそれぞれだと思うので、
1、鑑賞者として、
2、舞台芸術に関わる者として
3、自分の創作物に関して
と全く私的な3つの視点から書いてみます。
☆
せわしく、what’s new?に慣れすぎたトーキョーに
住んでいるので、良くない考え方かもしれませんが、
視覚的や思考的に一見わかりやすいことは、鑑賞者の私にとって重要です。
矛盾した言い方ですが、みな一瞬でわかるコンセプトなんだけれども
必ず見ているものが入り込める余白があり、わかりにくさもあって
良い意味で自分の考え方が壊され、感動的に裏切られるもの。
デザインでいえば、倉俣史朗、マーティン・バースやドローグデザイン系。
ファッションなら故アレキサンダー・マックィーンや旧マルタン・マルジェラ。
現代美術なら、ヤン・ファーブル、ダミアン・ハースト、マシュー・バーニー、オラファー・エリアソン、
杉本博司、柳幸典など。
舞台芸術では、ロベール・ルパージュ、サイモン・マクバーニー、ロメオ・カステルッチなど。
アーティストに脈絡がないようだけれど、私の中では
一貫している、クイック・マッサージ的なアートとデザイン。
社会や日常という固定観念に頭がガチガチになったとき、ふと思い出す彼らの作品によって、
私はまたクイック・マッサージを受けたときのように、頭の中がすっとほぐれていきます
(最近はとても即物的になっていて反省もします)。
* ☆
私の本業は、舞台芸術関係ですが、それらに関わって創作アイディアを出しているときもほとんど同じです。
ほんの少し足を突っ込んでいる程度なので、
これもかたよった考えですが、特に大衆演劇という、多くの観客に
見せるジャンルにいるので、一見わかりやすいというのが重要になってきます。
1000人いれば、1000通りの見方があるにせよ、ある方向性を共有してもらわないといけない。
ただ、何のために創作に関わるかという点での気持ちのよりどころは、なるべく多くの人に新しい視点や、
思いもしなかった切り口で考えを提示しているかというところ。
舞台は、総合芸術と言われるようにさまざまなアートやデザインの要素が入り乱れます。
そのときに、全く別物のような素材を合わせることで
面白い化学反応が起こることがあります。それをライブで見たときの
驚きや、時間を忘れるスパークした瞬間は、映画やドキュメンタリーとも違う
至高の「エネルギーの場」となります。それがたまらなく忘れられないので
この仕事に片足をつっこんでいるのはとてもシアワセなことです。
☆☆☆
なんやかんやいっておきながら、自分のモノ作りが上記のようか
と言われると、むむむ。。なところ。
ガラスという限定的な素材を選んだために、頭の中にある思いを伝えきれないという限界を感じた、27歳。
私はニューヨークに住み着き
さまざまなクリエーションを目の中に入れ込み
行動的に脳みそをひっくり返す作業を積極的にしました。
お陰でガラスという素材の呪縛から解放され、いまは「思考の道具」として
利用できるようになっています。
作品はとてもワタクシ的なものなので、それぞれの作品によってメッセージが違い
語りませんが、なぜ作品を作るのかと問われれば「自分を見つめるため」
「内面へのジャーニー」という感じでしょうか。
私は欲張りなので、多くを知り、経験して、感動したいです。
「自分が正しい」ということを気持ちよく裏切って欲しい。
それは常識、体裁、メンツ、世間という日本にいるからついそう思ってしまうのでしょうか。
いや、自分という狭い人間が勝手に作り上げているのです。
そう、「オズの魔法使い」のドロシーのように。
シガラミは人が作るものではなく、自分が作るもの。
だから、私はなるべく旅をし、多くの人やモノ作りに出会い
ドロシーが赤い靴をカチッと鳴らして想像の旅に出るように
自分の内面への旅をモノ作りを通してし続けるのだと思います。
そして最後に。、今回は即物的な思考のあり方を書きましたが、
もちろん10年後、20年後にやっと「ウチアタイ」する
クリエーションの力ももちろん信じています。
一般的に言うとアート、デザインが文化的、社会的に必要なのは、そういう思考の機能として必要だからだと思っています。
大きく言うとアートは、戦争や差別を終わらせ、政治を変え、宗教を葬ることが出来る力のある装置だと信じています。
それはまたいつかゆっくり書きたいと思います。
2012年4月、ロンドン行きの機内にて
ガラスアーティスト
松堂今日太
Posted by LOOCHOO(アートとデザイン) at 08:39│Comments(0)
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